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シンヤB
ripened / 熟した
昨日の午後から体調を崩し始めた。私は六白金星であるので、なんと分かりやすい早い展開だろうか。去年、今年、来年と、大吉、大凶、大吉というシークエンス。1月はクールダウンしていたので、まあなんとかなるだろうとは思う。しかし体調が悪いのはしんどい。 シンドイといえば、仕事で外に出かける際にカメラも一緒で、1日中写真を一枚も撮れないのも、シンドイことの一つ。昨日はそんな日にもなってしまった。 何も撮っていないことに気付き、最悪な体調の中で買ってきた有機栽培のバナナを家で撮った。 黒くなってきて半額になっていたバナナ。何枚撮っても、右に寄ってしまう。8枚程であきらめた。8枚目がこちらの写真。 なんだか自画像のようだと感じたので、Self-portrait (ripened organic banana) と名付けることにした。ripened (熟した) と書くとなんだかカッコよく聞こえる。一般的には overripe (熟れ過ぎ) と呼ばれる状態。 ちなみに、我が家ではチーズとバナナは半額になってからが美味しいとされている。 -
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あけましておめでとうございます / Happy New Year
2月4日ですね。あけましておめでとうございます。今年は、写真撮ってヨガしてブログ書いて、あとは大学の仕事を粛々とする、静かな年にしようと思います。どうぞよろしくお願いします。 -
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ナオキさん / Mr. Naoki
舟越桂さんの個展が開かれていると聞いて見に行った。桂さんの彫刻の実物をあまり見たことがなく、まとめて鑑賞するには良い機会だと思ったのだ。 桂さんは世田谷区を代表する作家の一人、言わば同郷の大先輩であるので、自分のデータベースに入れておかなくてはという気持ちもあった。楠の木彫の最初の半身像「妻の肖像」も見たいと思っていた。 どうしてか分からないが、私は会場を勘違いしていて、ぜんぜん違う美術館に行ってしまう。天気も良く散歩にはもってこいだったので、良い散歩になったので良かったのだが。 美術館に着いてからは、特に問題もなく普通に見ていた。良くまとまっていて、とても有意義な展示だった。見に来て良かったと思った。 展覧会も終わるのでネタばれしてしまうが書いておこうと思う。 展示の後半に、家族 (お父様、お母様、弟) が描いた絵と自分の絵を一緒に飾ってある。その中に、私が知っているような見たことのあるような絵があったのだ。Naokiとサインしてある。 え、あ、ナオキさん。 そして、走馬灯のように、いろんなことを思い出した。 私は、私は世田谷区にあった現代ハイツという画廊で作品を発表してきたのだけれど、そこが立ち退きに合いなくなってしまい、それ以来、発表する場所がなくなってしまった作家なのである。 ナオキさんも、現代ハイツにいつもいる登場人物の一人だった。舟越桂さんの弟だったことは知っていたが、本人がそのことを話さないし周りも話題にしないので、すっかり忘れていた。 場所がなくなると会わなくなってしまう人がいる。携帯電話を使っていない年賀状を交換しない私にはよくあることなのだが。 ナオキさんも、そんな一人だった。現代ハイツがなくなってから会わなくなってしまった。 そして、桂さんの年表には、最近、弟さんが亡くなったことが書いてあった。 そんな中、現代ハイツの藤井さん*が、突然、目の前に現れた。幻想とかじゃなくて、ほんとに目の前に。(*現代ハイツは、岩田さんと藤井さんの2名で運営されていた) ナオキさんだけじゃなくて、実は、私も藤井さんももう死んでいてあの世で遭っているじゃないかと感じ、なんだかくらくらする。 藤井さんに「いま、ナオキさんのことを思い出してたので、すごくびっくりした」と伝える。 少し遠くの方に、岩田さんもいて挨拶してくれた。 こういうことを書くと気分を害する人もいるかもしれないが、そうかー、美術館を間違えたのは、岩田さんと藤井さんと会うためだったんだな、と思う。どう考えても、ナオキさんにひっぱられたなー、と感じたのだった。 あの当時、2013年だと思うのだけれど、ナオキさんが葉書をくれたので、ナオキさんの個展を銀座に見に行った。 「えー、本当に見にきてくれたんだ!」と凄い喜んでくれて、なんだか、僕らには珍しく絵の話とか画廊の話をした気がする。ナオキさんが、僕が個展を見にきたことを、あそこまで喜んでくれるとは思わなくて、それが、僕も凄く嬉しかったのを覚えてる。 できることなら、もう一度、ナオキさんと会いたいなーと思うけど、きっと会っても特別なこととか話さないだろうな。僕らはそれが最後の会話になるとは思わないだろうから。 (この投稿のためにいろいろと写真を撮ったのだけれど、取りえあず、写真はなしで投稿します) -
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ラストシーンのその先 / Beyond the last scene
2017年に、キンセイさんたちと「不寛容について」というダンス&メディア舞台作品を作ったんだけど、なんだか、今の私たちが置かれている状況は、あの作品のラストシーンのように感じてきているので書いておこうと思う。 つまり、ラストシーンで横たわって動かなくなった人々がいまの自分に見えるのである。 デストピアの入り口に光があたり、徐々に暗転というようなラストシーンだったが、あの作品では、今のような状況が予想されてしまっていたのかもしれない。いま上演したら、ぜんぜん違う反応があるだろうなと思う。 あの時、制作の終盤に、私はラストシーンに行く前の「ザッピング」と呼ばれるシーンが冒頭にあれば良いのにと考えるようになった。良いのにというのは、いま考えると「見たい」という感情だったんだろうなと思う。そして、良いのにという言葉を使うことに今となっては違和感を覚えるが、、 私は、あのラストシーンのその先を体験しなければならない状況に、今の私たちはリアルに置かれているのだろうと気づいた。認めるのにまだ少し抵抗があるが、3年後、1年後の世界を想像することができない世の中に、本当になってしまった。 以下の文章を読んで「不寛容について」久しぶりに考えることになったことも書いておきたい。この文は (本の宣伝ということもあり) 一方的な論法になっている気もするが、人間の不寛容さの理由の一端を上手く説明してているように思った。 読んだ感想としては、長い人生「ブレない」ことも必要だとも思えるということと。そして次に連想したのが、最近よく新聞の記事で見かけるようになった「メンツ」という言葉。 体面。面目。顔ぶれ。という意味の言葉だが、カタカナ表記なこともあり目立つ言葉だ、メンツは中国語なので外来語扱いなのだろうと推測する。 何かを決める理由が「メンツ (面目)」というのは、言ってみれば、”「ぶれない人」こそが怖い” というところに繋がっていくのかなと思ったりしたのですが。 写真は「不寛容について」で、「正常位」と呼ばれていたシーン。念のため書いておくと、正常位は人間が性交を行う際の体位の指しています。英語では、missionary position (宣教師ポジション) と言います。パフォーマンスしているのはモノクロームサーカスの 森 裕子さん、記録撮影は 金 サジさんで、白黒に現像したのは私でした。 不寛容の歴史を紐解いて行き着いた場所の一つが、道徳観とセックスの体位だったので、動物のようにセックスをするのは野蛮だという人々がでてきて、野蛮なセックスを取締る人々が出てくるというシーンをコミカル?な感じで提案してみたんですが。 「ぶれる」ことを許容する 人間は感情の動物です。だからパニックにも陥るし、ヒステリックにもなる。トイレットペーパーだって買い占めたくもなる。 ぼくは、トイレットペーパーを買い占めることは間違ってると思うけれど、それを愚かだとは思わない。間違 ってるかどうかと、それを嘲りや罵倒の対象にしていいかどうかは、また別の問題ですよ。 人間は、そもそも間違えるものです。だから、間違えることそのものはどうってことないし、「間違えない人」がいるとすれば、認識そのものがかなり危ない。「自分は間違ってない」と思った瞬間、その人は大きく間違えてるんですよ。 逆説的ですけど、「自分は間違えてるかもしれない、パニックになっているかもしれない」という、自分に対 する健全な猜疑心を保ち続けている人のほうが間違えにくいんです。 … 孫正義さんが「もっとPCRをできるようにしよう」と言ったときに、「それはやめてくれ」と方々から声が上がったので、孫さんはすぐに「やっぱりやめます」って言いましたよね。あれを見てぼくは「孫さんって、さすがだな」と思いました。自分が間違ったと思ったら撤退することができるって、あの人はやっぱり、只者じゃ ない、偉い人だと思いました。 だから、間違えることは大した問題じゃない。それよりも、自分の間違いをすぐに認めて前言撤回できる、朝令暮改できることが大事なんです。 徹頭徹尾、首尾一貫して常に言うことが変わらない、「ぶれない人」こそが怖い。「ぶれる」のはいいことな んですよ。だって、この新型コロナウイルスって、誰も経験したことがない未曾有の体験ゾーンなわけですよ。 未経験なものに対してはぶれないというほうがどうかしている。 新しい情報が入ってきたら、「それは知らなかった」と言って方向を変えるのが当然です。ぼくも、フェイクの情報をシェアしてしまったことがありました。イタリアで高齢者の方には人工呼吸器を使わない、という 報道を真に受けてしまってリツイートしたのです。でも、デマだと分かったらすぐに謝って取り消しました。これだけ情報が氾濫していたら、裏を取れずに間違えることだってありますよ。だからこそ、自分の間違いが分か ったら素直に認めて、すぐに方向転換することが大事です。 間違いは大した問題じゃない。だからこそ寛容であること、そして自分に関係のないことはほっとくことが大切です。芸能人が覚醒剤を使っても、ほっとく。それは警察が何とかしてくれることで、自分が怒る話じゃない 。 世の中にはいろんな人がいるので、ほっときゃいいんですよ。自分に実害があるときだけは不寛容になる。 でも、ぼくが言う「寛容である」には唯一の例外があります。不寛容に対しては、絶対に不寛容であるべきで す。「あの人は黒人を差別してるけど、別に知らん」とか、「あの子がいじめられてるけど、別に知らん」みた いな態度、つまり不寛容に対しても寛容な態度を取ると、それは差別主義になってしまいます。「【非常事態宣言下の感染管理】間違いよりも、自分の間違いをすぐに認めて前言撤回できる、朝令暮改できることが大事《岩田健太郎教授・感染症から命を守る講義㊼》」より / 文:岩田健太郎/構成:『BEST TIMES』編集部 -
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ぼくの仕事場 2020
記録的に、今の仕事場のことを書いておきたい。アメリカの大学の授業も日本の大学の授業もブログや作品制作も、この机から発信してる。唯一、アドビオンライン講座だけアドビのスタジオにでかけていってる形。 一年前のぼくに、大学の授業はぜんぶオンラインになってね、家からしてるんだよ。アドビさんから指名されて、アドビの写真の先生もしているんだよ。でね、デモにはキヤノンのカメラを使っているんだ。と言ったら、絶対に信じないだろうな。 Apple MacBook Pro 2020Apple Cinema DisplayApple iPhone Xs Maxサンコー カメラ用5インチ液晶モニタードラえもんBlackmagic ATEM Mini ProShure SM58Thunderbolt 3 to USB + USB-C to USB&SD Card Reader + USB-C to LightningApple Magic KeyboardMUJI A4 ノートBose SoundTouch 20ETSUMI クリーニングクロスPat Metheny MugTAPCO MIX50TourBoxSAMSUNG PortableSSD T5HDMI: A, C, D + LightningOne by WacomThunderbolt 3 to HDMI&USBKensington OrbitTrackball with Scroll RingLeica […] -
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2020年芸術祭 関東+ 大町・札幌
今年と来年は担当している大学のアートの授業に国際芸術祭をうまく組み込めないかと思っていることもあり、リストを作ってみた。 アートと多様性ということを考えるには、多くの作家の作品を同時に見れる芸術祭が有効ではないかと考えたのだ。 テンプル大学が三軒茶屋に移転し、商店街に大学が隣接する環境になり、コミュニティとアートについても学生達と考察・探求していくことが必要になってきた。芸術祭は市民参加型のアートを探求している現場でもあるので、コミュニティアートの研修にも有効ではないかと思っている。 個人的には「あいちトリエンナーレ」の一連の騒動がどう影響していくのかも気になるところ。 長野県と北海道の芸術祭にも興味があるのだが、個人的には行く可能性が高いが授業ではコストがかかりすぎるので無理だろう。 情報を整理する際に各芸術祭のコンセプトを読んだ。アプローチやスタイルに違いがあって、興味深い。 埼玉県 さいたま国際芸術祭2020 (大宮) Art Sightama -さいたまを、芸術と生活がひとつとなる「Art Sight -アート・サイト-」に- 2020年3月14日〜5月17日 https://art-sightama.jp/ 千葉県 房総里山芸術祭 いちはらアート×ミックス2020 (市原) 晴れたら市原、行こう。 2020年3月20日〜5月17日 https://ichihara-artmix.jp/ 東京都 東京ビエンナーレ2020 (東京都心北東エリア) 「純粋」×「切実」×「逸脱」「自分たちの文化」を「自分たちの場所」で 「私たち」の手で創る、新しい都市と文化 2020年7月3日〜9月13日(予定) https://tokyobiennale.jp/ 神奈川県 ヨコハマトリエンナーレ2020 (みなとみらい) Afterglow―光の破片をつかまえるソースの共有|エピソードから始まるヨコハマトリエンナーレ2020 2020年7月3日〜10月11日 https://www.yokohamatriennale.jp/2020/ 長野県 北アルプス国際芸術祭2020 (大町) 北アルプスの 水_源流、 木_森、 土_地殻、 空_蒼穹 2020年5月31日〜7月19日 https://shinano-omachi.jp/ 北海道 札幌国際芸術祭2020 (札幌) Of Roots and Clouds(オブ ルーツ アンド クラウズ):ここで生きようとする 2020年12月19日〜2021年2月14日 https://siaf.jp/ -
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2020年1月1日 富士山
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2019年を10大ニュースのようにまとめてみました
今年は1日早く愛方さんの実家の山梨の家に帰省することになったので、12月30日に特急あずさの中で iPhone に10大ニュース的なメモを書いた。夜、キンセイさんが照明を担当した 「Perfume×Technology presents Reframe 2019」を見ながら、メモを元にこれを書き始めたところ。 キンセイさんは、このコンサートと平行して私たちと「光線に色はついていない」を作ったのかと思うといろいろと感慨深い。年末のBGMに Perfume の楽曲は合っていて、このブログを書く作業が始まる。 愛方さんの厳父が余命宣告を突然受ける (4月) 1月に楽しく新年を一緒に過ごした義父が3月に余命宣告を突然受けた。それからというもの、家族で美味しいものを持って長野の病院に通う生活を送ることに。 以前から義父は一眼のカメラを新しくしたがっていたので、新しいカメラをプレゼントして、カメラを通してのコミュニケーションも始まる。日頃から会えばたくさんの話をしていたが、カメラを通しての会話は有意義なものになった。 そのカメラで、私は彼と彼の家族の肖像を撮ることになったし、彼も私の写真を撮ってくれた。そして、彼は宣告通りに亡くなってしまった。 遺影は、ライカで撮影した初詣後の記念撮影の写真が使われることになった。葬儀の間、義父についての文章を書いていたのだが、書き終わらなかった。 15分の瞑想と月に3日のプチ断食と瞑想マスターとの再会 (10月) テンプル大学のアート学科の責任者をしていることもあり、この4年ほど大学の業務が十分に忙しいと感じていたが、日米合同キャンパスタスクフォース委員会の委員もすることになって、6月ぐらいから昭和女子大学との合同キャンパス、ジャパンキャンパス三軒茶屋新校舎での新しい環境へ向けて、大学の仕事の量がどんどんと増えていくことになった。 日本の大学との合同キャンパスプロジェクト、一生に一度のことと思い仕事をこなしていたが、時間だけでなく、ストレスをいままで以上にコントロールする必要がでてきた。 実行していたこととして、まずは1月から月に1回のプチ断食を行っていた。 私の場合のプチ断食は以下の形。健康に関することには個人差があるので、ご自分でプチ断食をなさる場合は専門家や医師にご相談の上で行ってください。 1日の準備日動物性食物、カフェインやアルコール飲料をとらない3日プチ断食酵素ジュースとハーブティーだけですごす1日の回復日朝ごはんは大根を煮たもの、午後も動物性食物はとらない それと、日課になっている15分の早朝の瞑想も続けた。 昨年あたりから、私にとっての瞑想の鍵は「手放す」ことだと気づいた。瞑想マスター (瞑想の師匠) からは、意識・無意識に「関わらないようにして静かにする」と教わるもの。 3年程続けてみて、私の場合は「関わらない」というようりは「手放す」のだと気づいた。手放せるようになると、瞑想はよりマインドフルネスの状態になっていった。 7月ぐらいに、だんだんとストレスのコントロールを難しく感じるようになってきた。そこで、意識・無意識と同じように、瞑想中にストレスを手放すことができないか試してみたところ、できることが分かった。 私の場合は、ストレスと共に「怒り」を手放すことになるのだが、怒りについては長くなるので、また来年に書ければと思う。 さて、10月になって、瞑想マスターが久しぶりに来日することになった。彼は1週間の瞑想ワークショップを行ったが、私は大学が忙しくて最終日しか参加できなかった。いつものようにワークショップの後にお茶をしに行った。 関わらないというよりは手放すという感覚と、ストレスと怒りをも手放すことができることに気づいたと、彼に伝えてみた。 彼はニコニコしながら「Empowering, isn’t it? (力を与る、でしょう?)」と私に言った。 そして、現代人がいかにこのストレスから病気になっているかという話になっていった。 実は、私にはもう一つ聞きたいことがあった。 「瞑想を教えたいと思っているのだが、どこから始めればいいのだろうか?」と私。 またもやにっこり笑って「自分の瞑想のベース (場所) となるものを見つけなさい。ヨガでも禅でも、学校のような場所でも大丈夫。ベースができたら、そこからは自分自身で進めることができるでしょう。私もそうだったから。」と答えてくれた。 新作舞台作品「光線には色はついていない」が京都の THEATER E9 KYOTO にて上演される (12月) 公演の感想のエントリーを近いうちに書く予定です。 写真展「Compathy 2019」が東京のスターバックスコーヒー池尻2丁目店にて開催される (2月) 写真展の作り方、「額装」と呼ばれる写真のテスト撮影 WordPress のイシューがプルリクエストに発展、世界が変わり始める […] -
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Terroir 愛と胃袋 2019年8月のディナー | 山梨グルメ
Terroir 愛と胃袋 住所:山梨県北杜市高根町長澤414 Dinner Standard ¥8,240Wine Pairing Standard ¥5,500 iPhone Xs Max で撮影、Adobe Lightroom、Snapseed で現像・レタッチ / iPhone から WordPress へアップロード -
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2019年7月の選挙のこと (個人的な見解)
2019参院選のことについて書いておこうと思う。この文章は自分の備忘録として、そして、選挙についていろいろな人が自分の考えをブログなどで公開することへの助けになればと思い書いている。日本では個人の人が政治に関することを書いたりすることが、あまり受け入れられていないように感じているからだ。 まずは、今回の選挙で感じたことを書いておきたい、そして、今回の選挙から私個人として変わったことも書いておきたい。そして、最後に、誰に投票したかも記しておこうと思う。 今回の選挙で感じたこと インターネットに情報が十分にそろってきた インターネット上に、選挙関係の情報が十分にそろってきていると感じた。インターネット上での選挙に関する情報提供は、新しい時代に入ったのだと感じる。 情報を収集したサイトについて 選挙ドットコムには基本情報が揃っていた。ここで基本情報を読んでいって、載っていないと感じたり気になることがあれば Google で検索してさらに調べるという方法で情報を収集していくことになった。 驚いたのは、ホームページがない候補者がいたこと、、 Facebook と twitter で間に合うのかもしれないが、WordPress な私としては少し驚いた。 twitter にも情報がたくさんある、政党や候補者は情報発信をしているし、適度にハッシュタグで情報を読んでみると新しい発見があったりする。 ポリタス も参考になる情報が多くあった。 私の Facebook の feed に出てくる友人の投稿について いままでの選挙と違って、「投票に行きましょう」的なポストをあまり見かけなかった。 山本太郎さんの演説の動画をシェアしている人が多かった一方、「消費税廃止」に異論をとなえたり、「スピーチが上手なだけ」的な意見も多くみかけた。 2019年7月の選挙のこと、私の場合 SNSにて「選挙に行きましょう」発言はしないことにした。いままでは投票率が上がれば、世の中が変わるのではと希望を持っていたが、その考えに見切りをつけることにしたのだ。 実際に投票率が90%になったとしても世の中が変わる保証はない。私は投票に行かない人は、いまの状況に満足している人なんだろうと仮定することにしてみた。つまり、選挙に行かない人は現状維持をサポートする人々であると考えてみることにしたのだ。 2017年の記事「選挙に行く若者へ押さえておきたい3原則」をシェアしている人々もいた。「1点目は、格好良く言うと、『市民が政府をつくる』という原則です。」と書いてある。この記事は面白おかしく読めるのでオススメです。 あらためて出口治明さんの記事を読んでみて、3年ほど前に舞台作品 T/ITのリサーチ中に読んだ 弱肉強食 の話を思い出した。 人間の生存戦略は、、、、「社会性」高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する 個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる”弱者”です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です 弱者を抹殺する。 不謹慎な質問ですが、疑問に思… この「人間の生存戦略」だが、知恵袋だけでなく、学説のようなものがないか探してみたが、いまだに見つけられない。政治的な判断が知恵袋の回答から来ていることになってしまうが、事実なので記しておくことにした。 さて、「市民が政府をつくる」のであれば、この「社会性」を高めることに自分の票を使うことに決めた。国会議員の社会性が育まれれば、少しづつ政府も変わっていくのではないかと考えたのだ。 女性、LGBT、障害者、シングルマザー、非正規労働者など、偏見や差別の対象になっていたり、制度の不備から損失を被っていると考えられる人々が当事者として国会議員になってもらった方が良いのではないかと考えた。 「社会性」を考えるにあたり、まずは単純に、国会議員の半分は女性が良いのではないかと考えた。 私が住んでいる東京都の枠は6名。インターネットで複数の情報を精査したところ、丸川珠代氏、山口那津男氏、吉良佳子氏の3名は当確予想、武見敬三氏、塩村文夏氏、山岸一生氏、音喜多駿氏の中から残りの3名が当選するという予想であった。 そこで、東京については、当選枠である6名の半数の3名が女性になることが、「社会性」を高めると考え、当確ラインぎりぎりで競い合っている4名の中の唯一の女性候補であった塩村文夏氏に投票することにした。 比例に関しては、女性、LGBT、障害者、シングルマザー、元派遣労働者などを候補としている、れいわ新撰組に投票することにした。 以下が参院選東京選挙結果である。(朝日新聞デジタル 参院選 東京 開票速報より) 候補者指名得票数結果丸川珠代1,143,458当選山口那津男815,445当選吉良佳子706,532当選塩村文夏688,234当選音喜多駿526,575当選武見敬三525,302当選山岸一生496,347落選 れいわ新撰組も4.55%の票を集め、重度障害者の舩後靖彦氏、木村英子氏が当選した。(朝日新聞デジタル 参院選 比例区 開票速報) そして、今回の選挙には、レズビアンの増原裕子氏(立憲民主党・京都選挙区)、ゲイの石川大我氏(立憲民主党・比例区)、MtFトランスジェンダーの安冨歩氏(れいわ新選組・比例区)の3名のLGBTが立候補し、石川大我氏が当選した。 […] -
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May you fare well
ワインがでてくると彼が「アメリカから帰ってきて最初にしたことはなんだった?」と聞いてきた。 日本に5年住んでアメリカに帰ることになった人の質問としてはしごくまっとうだ。 たしか、、 私の時は、タッチー (立花 岳志 さん) が車で空港に迎えにきてくれて。なぜか私の昔の恋人を連れてきて (タッチーは私たちが付き合っていたことを知らなかったと言っていたが)、まあいいかとそのままみんなで実家へ行き、父親と食事をした。食事はタミーさんが作ってくれた。 「すごい始まりかただな」と彼。 たしかに、いまから考えるとそんな20年前だった。それよりも自分にとっては、すぐにアメリカに帰るつもりだったのに、帰らなかったことの方が驚きだったとも伝えた。 私には、彼の気持ちが良くわかる。なんだかよく分からないけど、ココジャナイという感覚。 アメリカでの生活はどうなるんだろうと彼、、 私の時は一週間後に日記猿人の運営から離れ (神さまをクビになり)、半年後にえんちゃん (福岡ユタカさん) と映像作品を作り始め、父親が一年後に他界し、テンプル大学ジャパンで教え始めて、初めての個展を青山の Gallery Art Space で開催することになったのだった。 タッチーと元恋人を見つめる成田空港の私は、そんなことを知るよしもない。だから、きっとうまくいくことだから。未来は変わらないから、 そして、2年後に、えんちゃんを通して、山中透さんと知り合い、愛方さんとも出会うことになる。もちろん、17年後にぼくらが結婚することになるなど知るよしもない。 というわけで、みなさまに大変お世話になりました、元助手のトムさんが、アメリカに帰国するこになりました。この場を借りて、彼の代わりにお礼を申し上げます。ありがとうございました。 まあ、彼の場合は、きっと日本に帰ってくるでしょうけど、と思っています。 いつものビストロで食事をすることになって、そうなんだトム帰るんだと三角地帯のマスターがこのワインをだしてくれました。このワインの味は忘れないと思います。 Farewell. -
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モッチーから作品が届く
(2026年12月18日には何歳なんだろうとこのエントリーを書き始める これは昨日書き始めたもの) (シンヤB写真術ワークショップ参加者募集中 — 5月16日 木曜〜 5月19日 日曜) 愛方さんが仕事に出かける前にお昼を作ってくれる 久しぶりに家で作業「今日は自分のブログのメンテ」とFacebookに書き込み タスクから逃げられなくする モッチーから作品が届く (写真の荷物) 義父のお通やが彼の展覧会のオープニングだったこともあり なんだか縁を感じていた 葬儀を終え 山梨から戻り 最終日に彼の展示を見れた 生と死をテーマにしたとても良い写真があり なんだかこのひと月を象徴しているように思えた一枚があった そして 光の写り込みが一番綺麗に感じられる写真だった 作品を販売しているとのことだったので聞いてみると この作品はまだ売れていないとのことだった 一番良いと思ったのが売れてないとは縁があると 購入させてもらうことにした 実際 モッチーがアート作品を販売するというのを初めて見た気もするので これはレアな機会だったのかもしれない その作品が届いたのだった 昨日まで大学に行っていたこともありメールなどに返事を書かねばなら「自分のブログのメンテ」はなかなか進まない中 検案事項であった 自分のブログのテーマをどうするか決めなくてはならなかった 保守をしているサイトはそろって Snow Monkey になってきているので Snow Monkey にする方が理にかなっている しかし 先日 WordPress ミートアップで AMP の開発者の人々と話したら いろいろと自分の中で変化があった その自分の中での変化と Snow Monkey はどうも接点が少ないと感じていた もともと 私のブログは コンテンツを作るのに 投稿フォーマットの機能を使っていたということがって そろそろこの投稿フォーマットといったん決別しないとならないタイミングにきたようなのだ 投稿フォーマット>画像の代わりに AMPストーリーとなるのかもしれない テーマをどうするか決められずに 午後はトオルさんと 6月と7月に大学で教えるインターネットのクラスの打ち合わせを近所のカフェにて 一緒に教えるのは2度目なので いろいろと話は早い WordPress の話をしているのに WordPress の外の話ができている気がする これは良いこと (ここでとりあえず いったんポスト ブログのメンテは40%ぐらいまで進んだ感じ)