ラストシーンのその先 / Beyond the last scene

2017年に、キンセイさんたちと「不寛容について」というダンス&メディア舞台作品を作ったんだけど、なんだか、今の私たちが置かれている状況は、あの作品のラストシーンのように感じてきているので書いておこうと思う。

つまり、ラストシーンで横たわって動かなくなった人々がいまの自分に見えるのである。

デストピアの入り口に光があたり、徐々に暗転というようなラストシーンだったが、あの作品では、今のような状況が予想されてしまっていたのかもしれない。いま上演したら、ぜんぜん違う反応があるだろうなと思う。

あの時、制作の終盤に、私はラストシーンに行く前の「ザッピング」と呼ばれるシーンが冒頭にあれば良いのにと考えるようになった。良いのにというのは、いま考えると「見たい」という感情だったんだろうなと思う。そして、良いのにという言葉を使うことに今となっては違和感を覚えるが、、

私は、あのラストシーンのその先を体験しなければならない状況に、今の私たちはリアルに置かれているのだろうと気づいた。認めるのにまだ少し抵抗があるが、3年後、1年後の世界を想像することができない世の中に、本当になってしまった。

以下の文章を読んで「不寛容について」久しぶりに考えることになったことも書いておきたい。この文は (本の宣伝ということもあり) 一方的な論法になっている気もするが、人間の不寛容さの理由の一端を上手く説明してているように思った。

読んだ感想としては、長い人生「ブレない」ことも必要だとも思えるということと。そして次に連想したのが、最近よく新聞の記事で見かけるようになった「メンツ」という言葉。 体面。面目。顔ぶれ。という意味の言葉だが、カタカナ表記なこともあり目立つ言葉だ、メンツは中国語なので外来語扱いなのだろうと推測する。

何かを決める理由が「メンツ (面目)」というのは、言ってみれば、”「ぶれない人」こそが怖い” というところに繋がっていくのかなと思ったりしたのですが。

写真は「不寛容について」で、「正常位」と呼ばれていたシーン。念のため書いておくと、正常位は人間が性交を行う際の体位の指しています。英語では、missionary position (宣教師ポジション) と言います。パフォーマンスしているのはモノクロームサーカスの 森 裕子さん、記録撮影は 金 サジさんで、白黒に現像したのは私でした。

不寛容の歴史を紐解いて行き着いた場所の一つが、道徳観とセックスの体位だったので、動物のようにセックスをするのは野蛮だという人々がでてきて、野蛮なセックスを取締る人々が出てくるというシーンをコミカル?な感じで提案してみたんですが。 

「ぶれる」ことを許容する 

 人間は感情の動物です。だからパニックにも陥るし、ヒステリックにもなる。トイレットペーパーだって買い占めたくもなる。

 ぼくは、トイレットペーパーを買い占めることは間違ってると思うけれど、それを愚かだとは思わない。間違 ってるかどうかと、それを嘲りや罵倒の対象にしていいかどうかは、また別の問題ですよ。

 人間は、そもそも間違えるものです。だから、間違えることそのものはどうってことないし、「間違えない人」がいるとすれば、認識そのものがかなり危ない。「自分は間違ってない」と思った瞬間、その人は大きく間違えてるんですよ。

 逆説的ですけど、「自分は間違えてるかもしれない、パニックになっているかもしれない」という、自分に対 する健全な猜疑心を保ち続けている人のほうが間違えにくいんです。

 孫正義さんが「もっとPCRをできるようにしよう」と言ったときに、「それはやめてくれ」と方々から声が上がったので、孫さんはすぐに「やっぱりやめます」って言いましたよね。あれを見てぼくは「孫さんって、さすがだな」と思いました。自分が間違ったと思ったら撤退することができるって、あの人はやっぱり、只者じゃ ない、偉い人だと思いました。  

 だから、間違えることは大した問題じゃない。それよりも、自分の間違いをすぐに認めて前言撤回できる、朝令暮改できることが大事なんです。  

 徹頭徹尾、首尾一貫して常に言うことが変わらない、「ぶれない人」こそが怖い。「ぶれる」のはいいことな んですよ。だって、この新型コロナウイルスって、誰も経験したことがない未曾有の体験ゾーンなわけですよ。 

 未経験なものに対してはぶれないというほうがどうかしている。  

 新しい情報が入ってきたら、「それは知らなかった」と言って方向を変えるのが当然です。ぼくも、フェイクの情報をシェアしてしまったことがありました。イタリアで高齢者の方には人工呼吸器を使わない、という 報道を真に受けてしまってリツイートしたのです。でも、デマだと分かったらすぐに謝って取り消しました。これだけ情報が氾濫していたら、裏を取れずに間違えることだってありますよ。だからこそ、自分の間違いが分か ったら素直に認めて、すぐに方向転換することが大事です。  

 間違いは大した問題じゃない。だからこそ寛容であること、そして自分に関係のないことはほっとくことが大切です。芸能人が覚醒剤を使っても、ほっとく。それは警察が何とかしてくれることで、自分が怒る話じゃない 。 

 世の中にはいろんな人がいるので、ほっときゃいいんですよ。自分に実害があるときだけは不寛容になる。 

 でも、ぼくが言う「寛容である」には唯一の例外があります。不寛容に対しては、絶対に不寛容であるべきで す。「あの人は黒人を差別してるけど、別に知らん」とか、「あの子がいじめられてるけど、別に知らん」みた いな態度、つまり不寛容に対しても寛容な態度を取ると、それは差別主義になってしまいます。

【非常事態宣言下の感染管理】間違いよりも、自分の間違いをすぐに認めて前言撤回できる、朝令暮改できることが大事《岩田健太郎教授・感染症から命を守る講義㊼》」より / 文:岩田健太郎/構成:『BEST TIMES』編集部
“Missionary Position”, a scene from a dance & media theater called Intolerance/Tolerance. Premiered it in 2017.

Bio

シンヤB

アーティスト、教育者、ドラマトゥルク。詳しくは、プロフィールをご覧ください。