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ブログ
テスト / Test
Test, test, test! テスト、テスト、テスト! -
ブログMichael Kenna / マイケル・ケンナ
最初にマイケル・ケンナさんの写真を見たのは「Night Walk」という写真集だった。1992年のこと。当時住んでいたフィラデルフィアの古本屋さんで見つけ、シンプルな構図に惹かれて買うことにした。 Night Walk (夜の散歩) は、1987年に出版された、白黒で撮影された”夜”の風景の写真集である。検索してみたら、マイケルさんのところにまだ在庫があるようだった。彼らしい写真集だが、日本やアジアのイメージは含まれていない時期のもの。このイメージが後々、北海道の風景と出会うと想像すると感慨深いものがある。 当時の私は、彼の写真にはいろいろと疑問を持っていたことを思いだす。すでに美しいと思えるヨーロッパの風景が、シンプルな構図で”美化されすぎている”ように感じたのだ。 私はアメリカで映像と写真の勉強をしていて、毎日のように新しいイメージとの出会いがあったので、実は、マイケルさんの写真のことは、その後、すっかり忘れてしまっていた。 アメリカでの生活が終わり、日本に帰ってきて少し経った頃、2003年ぐらいだと思うが、写真がきっかけで知り合いになった女性がいて、その女性がマイケル・ケンナさんの作品が好きだったので見てみた。最新の本は「Japan」というものだった。シンプルな構図が日本の風景と上手くマッチしていて、良い写真集だった。見ていて、なんだか気になることがあった。前にも見たことがあるような気がしたのだ。 家に帰り本棚の本を何冊か見ていると「Night Walk」がでてきた。(つづく) -
ブログrainbow / 虹
2月6日に体調が悪いと書いた。あの時点では、もう少し早く復帰するつもりだったのだが時間がかかった。やっと本日から通常運転に戻れたという感じ。1月29日あたりから崩れ始めたので、20日程かかったことになる。戻せたので、ここからはいろいろと気をつけて進めて行ければと思う。 記録としては、苦しいというより、怖いという感情とどう付き合うのかということについて考えた20日間となった。 写真は、昨日、仕事場から見えた虹。 -
シンヤBripened / 熟した
昨日の午後から体調を崩し始めた。私は六白金星であるので、なんと分かりやすい早い展開だろうか。去年、今年、来年と、大吉、大凶、大吉というシークエンス。1月はクールダウンしていたので、まあなんとかなるだろうとは思う。しかし体調が悪いのはしんどい。 シンドイといえば、仕事で外に出かける際にカメラも一緒で、1日中写真を一枚も撮れないのも、シンドイことの一つ。昨日はそんな日にもなってしまった。 何も撮っていないことに気付き、最悪な体調の中で買ってきた有機栽培のバナナを家で撮った。 黒くなってきて半額になっていたバナナ。何枚撮っても、右に寄ってしまう。8枚程であきらめた。8枚目がこちらの写真。 なんだか自画像のようだと感じたので、Self-portrait (ripened organic banana) と名付けることにした。ripened (熟した) と書くとなんだかカッコよく聞こえる。一般的には overripe (熟れ過ぎ) と呼ばれる状態。 ちなみに、我が家ではチーズとバナナは半額になってからが美味しいとされている。 -
シンヤBあけましておめでとうございます / Happy New Year
2月4日ですね。あけましておめでとうございます。今年は、写真撮ってヨガしてブログ書いて、あとは大学の仕事を粛々とする、静かな年にしようと思います。どうぞよろしくお願いします。 -
写真術 基礎編写真家の為の Adobe Photoshop レイヤー入門 / Adobe Photoshop, Introduction to Layers for Photographers
アドビ Photoshop のレイヤー (層) とは? アドビ Photoshop には、レイヤー (層) と呼ばれる機能があります。この機能を使うと、写真や調整を層状に積み重ねていくことができます。 写真家が Photoshop のレイヤーでできることとして、以下のようなことがあげられます。 二枚の写真を重ねて、上の写真を透過状態にする (不透明度を下げる) ことで、上の写真を下の写真に透かしていくことができます。多重露光の写真と同じような効果をだせます。何も入っていないレイヤー (透明なレイヤー) を足して、その透明な層に色などを描き下にある写真に足していくことができます。レタッチと呼ばれる作業です。調整レイヤーを使い、明るい暗いなどの効果を足すことができます。調整レイヤーは、後から調整値を変えることができますので便利です。ドッチ&バーンなどの効果になります。テキストを入れることができます。コピーライト表示、タイトル、自分の名前など入れることができます。クリッピングマスク編集を使い文字の形に合わせて写真を切り抜くことも可能です。写真にマスクを付けることで、複数の写真を使ったモンタージュが作れます。切り抜きとマスクにつては、「Adobe Photoshop レイヤーのマスクの手引き その1 / Adobe Photoshop, Introduction to Masks, Part 1」のページにまとめてあります。 Photoshop のレイヤーはレイヤーパレットでコントロールします。特徴として、層の順番、上下関係が効果、編集結果に反映します。上の層から順番に表示される仕組みです。パレットの上の層から順番に一つづつ透過されていくイメージを持っていただけると良いかもしれません。透過しないものが途中の層にあると、その下にあるものは見ることができません。 矢印の「+」を押すと新しいレイヤーが足されれます。クリッピングレイヤーで新しいレイヤーを作る際は、このボタンを押して作ります。その左側の「フォルダー」のアイコンを押すとグループするためのフォルダーが足されます。矢印の右側の「ゴミ箱」のアイコンを押すと選択しているレイヤーが消えます。 Adobe Photoshop のレイヤーの特徴についてのまとめ 複数の写真を層として重ねることがでる上の層にある写真を半透明にできる上の層から透過して表示される透過しないものの下にあるものは見ることができないレイヤーマスクを使い、層にマスクを付けられる写真以外の要素も層として重ねることができる、例えば、調整レイヤーやテキストや色グループを作り各層をまとめることができるグループ全体にもレイヤーマスクを使いマスクを付けられる -
写真術 基礎編Adobe Photoshop レイヤーのマスクの手引き,その1 / Adobe Photoshop, Introduction to Masks, Part 1
レイヤーも情報が多くなってきたので、「写真家の為のレイヤー入門」として、別のページにしました。 アドビ Photoshop 写真家の為のレイヤー入門 / Adobe Photoshop Introduction to Layers レイヤーのマスクでできること マスク名できることクリッピングマスクテキストや楕円形選択ツールなどを使った写真の切り抜きレイヤーマスク写真の部分的な調整ベクトルマスクパスを使った写真の切り抜き選択とマスク人物などの切り抜きアドビ Photoshop のマスクの4つの方向性 レイヤーのマスクの心得 一般的な写真の場合は、マスクに依存しないように注意撮影よりもマスクの作業に時間を使いすぎないようにマスクの作業は簡単なことからワークフローに取り入れていく 撮影の際に露出がうまくいかなかった写真をマスクで修正するのは、非常手段だと思ってください。初級の方は、マスクで修正するよりも、もう一度撮影してみるというような、可能であれば撮影により多く時間を使う方が写真の腕は上がるのではないかと考えています。 逆に、複数の写真をコラージしていくような作品には、マスクを積極的に使っていくと良いと思います。 クリッピングマスクでの写真の切り抜き 下のレイヤーの濃淡は結果に影響せず、あくまでも形に沿って切り抜くだけ下のレイヤーの透明ピクセルの部分がマスクとして機能するテキストで写真を切り抜くこともできる レイヤーマスクを使い部分調整 レイヤーマスク上で黒い部分がマスクとして機能する黒い部分に重なる写真は見えないレイヤーマスクはマスクを簡単に修正できるので、後から調整しやすいPSDファイルにレイヤーマスクを残して保存すると、ファイルサイズが大きくなる ベクトルマスクでの切り抜き レイヤーパネルで、ベクトルマスクを追加するレイヤーを選択レイヤー > ベクトルマスク > 「すべての領域を表示」を選択ペンツールとパス選択ツールを使い、切り抜きたいものをパスでアウトラインする (パスを描くのは難易度が高いので注意が必要)ベクトルは点で線を描いてアウトラインするので、瓶などの切り抜きには向いています 選択とマスクで人物の切り抜きをしコラージを始める -
シンヤBナオキさん / Mr. Naoki
舟越桂さんの個展が開かれていると聞いて見に行った。桂さんの彫刻の実物をあまり見たことがなく、まとめて鑑賞するには良い機会だと思ったのだ。 桂さんは世田谷区を代表する作家の一人、言わば同郷の大先輩であるので、自分のデータベースに入れておかなくてはという気持ちもあった。楠の木彫の最初の半身像「妻の肖像」も見たいと思っていた。 どうしてか分からないが、私は会場を勘違いしていて、ぜんぜん違う美術館に行ってしまう。天気も良く散歩にはもってこいだったので、良い散歩になったので良かったのだが。 美術館に着いてからは、特に問題もなく普通に見ていた。良くまとまっていて、とても有意義な展示だった。見に来て良かったと思った。 展覧会も終わるのでネタばれしてしまうが書いておこうと思う。 展示の後半に、家族 (お父様、お母様、弟) が描いた絵と自分の絵を一緒に飾ってある。その中に、私が知っているような見たことのあるような絵があったのだ。Naokiとサインしてある。 え、あ、ナオキさん。 そして、走馬灯のように、いろんなことを思い出した。 私は、私は世田谷区にあった現代ハイツという画廊で作品を発表してきたのだけれど、そこが立ち退きに合いなくなってしまい、それ以来、発表する場所がなくなってしまった作家なのである。 ナオキさんも、現代ハイツにいつもいる登場人物の一人だった。舟越桂さんの弟だったことは知っていたが、本人がそのことを話さないし周りも話題にしないので、すっかり忘れていた。 場所がなくなると会わなくなってしまう人がいる。携帯電話を使っていない年賀状を交換しない私にはよくあることなのだが。 ナオキさんも、そんな一人だった。現代ハイツがなくなってから会わなくなってしまった。 そして、桂さんの年表には、最近、弟さんが亡くなったことが書いてあった。 そんな中、現代ハイツの藤井さん*が、突然、目の前に現れた。幻想とかじゃなくて、ほんとに目の前に。(*現代ハイツは、岩田さんと藤井さんの2名で運営されていた) ナオキさんだけじゃなくて、実は、私も藤井さんももう死んでいてあの世で遭っているじゃないかと感じ、なんだかくらくらする。 藤井さんに「いま、ナオキさんのことを思い出してたので、すごくびっくりした」と伝える。 少し遠くの方に、岩田さんもいて挨拶してくれた。 こういうことを書くと気分を害する人もいるかもしれないが、そうかー、美術館を間違えたのは、岩田さんと藤井さんと会うためだったんだな、と思う。どう考えても、ナオキさんにひっぱられたなー、と感じたのだった。 あの当時、2013年だと思うのだけれど、ナオキさんが葉書をくれたので、ナオキさんの個展を銀座に見に行った。 「えー、本当に見にきてくれたんだ!」と凄い喜んでくれて、なんだか、僕らには珍しく絵の話とか画廊の話をした気がする。ナオキさんが、僕が個展を見にきたことを、あそこまで喜んでくれるとは思わなくて、それが、僕も凄く嬉しかったのを覚えてる。 できることなら、もう一度、ナオキさんと会いたいなーと思うけど、きっと会っても特別なこととか話さないだろうな。僕らはそれが最後の会話になるとは思わないだろうから。 (この投稿のためにいろいろと写真を撮ったのだけれど、取りえあず、写真はなしで投稿します) -
シンヤBラストシーンのその先 / Beyond the last scene
2017年に、キンセイさんたちと「不寛容について」というダンス&メディア舞台作品を作ったんだけど、なんだか、今の私たちが置かれている状況は、あの作品のラストシーンのように感じてきているので書いておこうと思う。 つまり、ラストシーンで横たわって動かなくなった人々がいまの自分に見えるのである。 デストピアの入り口に光があたり、徐々に暗転というようなラストシーンだったが、あの作品では、今のような状況が予想されてしまっていたのかもしれない。いま上演したら、ぜんぜん違う反応があるだろうなと思う。 あの時、制作の終盤に、私はラストシーンに行く前の「ザッピング」と呼ばれるシーンが冒頭にあれば良いのにと考えるようになった。良いのにというのは、いま考えると「見たい」という感情だったんだろうなと思う。そして、良いのにという言葉を使うことに今となっては違和感を覚えるが、、 私は、あのラストシーンのその先を体験しなければならない状況に、今の私たちはリアルに置かれているのだろうと気づいた。認めるのにまだ少し抵抗があるが、3年後、1年後の世界を想像することができない世の中に、本当になってしまった。 以下の文章を読んで「不寛容について」久しぶりに考えることになったことも書いておきたい。この文は (本の宣伝ということもあり) 一方的な論法になっている気もするが、人間の不寛容さの理由の一端を上手く説明してているように思った。 読んだ感想としては、長い人生「ブレない」ことも必要だとも思えるということと。そして次に連想したのが、最近よく新聞の記事で見かけるようになった「メンツ」という言葉。 体面。面目。顔ぶれ。という意味の言葉だが、カタカナ表記なこともあり目立つ言葉だ、メンツは中国語なので外来語扱いなのだろうと推測する。 何かを決める理由が「メンツ (面目)」というのは、言ってみれば、”「ぶれない人」こそが怖い” というところに繋がっていくのかなと思ったりしたのですが。 写真は「不寛容について」で、「正常位」と呼ばれていたシーン。念のため書いておくと、正常位は人間が性交を行う際の体位の指しています。英語では、missionary position (宣教師ポジション) と言います。パフォーマンスしているのはモノクロームサーカスの 森 裕子さん、記録撮影は 金 サジさんで、白黒に現像したのは私でした。 不寛容の歴史を紐解いて行き着いた場所の一つが、道徳観とセックスの体位だったので、動物のようにセックスをするのは野蛮だという人々がでてきて、野蛮なセックスを取締る人々が出てくるというシーンをコミカル?な感じで提案してみたんですが。 「ぶれる」ことを許容する 人間は感情の動物です。だからパニックにも陥るし、ヒステリックにもなる。トイレットペーパーだって買い占めたくもなる。 ぼくは、トイレットペーパーを買い占めることは間違ってると思うけれど、それを愚かだとは思わない。間違 ってるかどうかと、それを嘲りや罵倒の対象にしていいかどうかは、また別の問題ですよ。 人間は、そもそも間違えるものです。だから、間違えることそのものはどうってことないし、「間違えない人」がいるとすれば、認識そのものがかなり危ない。「自分は間違ってない」と思った瞬間、その人は大きく間違えてるんですよ。 逆説的ですけど、「自分は間違えてるかもしれない、パニックになっているかもしれない」という、自分に対 する健全な猜疑心を保ち続けている人のほうが間違えにくいんです。 … 孫正義さんが「もっとPCRをできるようにしよう」と言ったときに、「それはやめてくれ」と方々から声が上がったので、孫さんはすぐに「やっぱりやめます」って言いましたよね。あれを見てぼくは「孫さんって、さすがだな」と思いました。自分が間違ったと思ったら撤退することができるって、あの人はやっぱり、只者じゃ ない、偉い人だと思いました。 だから、間違えることは大した問題じゃない。それよりも、自分の間違いをすぐに認めて前言撤回できる、朝令暮改できることが大事なんです。 徹頭徹尾、首尾一貫して常に言うことが変わらない、「ぶれない人」こそが怖い。「ぶれる」のはいいことな んですよ。だって、この新型コロナウイルスって、誰も経験したことがない未曾有の体験ゾーンなわけですよ。 未経験なものに対してはぶれないというほうがどうかしている。 新しい情報が入ってきたら、「それは知らなかった」と言って方向を変えるのが当然です。ぼくも、フェイクの情報をシェアしてしまったことがありました。イタリアで高齢者の方には人工呼吸器を使わない、という 報道を真に受けてしまってリツイートしたのです。でも、デマだと分かったらすぐに謝って取り消しました。これだけ情報が氾濫していたら、裏を取れずに間違えることだってありますよ。だからこそ、自分の間違いが分か ったら素直に認めて、すぐに方向転換することが大事です。 間違いは大した問題じゃない。だからこそ寛容であること、そして自分に関係のないことはほっとくことが大切です。芸能人が覚醒剤を使っても、ほっとく。それは警察が何とかしてくれることで、自分が怒る話じゃない 。 世の中にはいろんな人がいるので、ほっときゃいいんですよ。自分に実害があるときだけは不寛容になる。 でも、ぼくが言う「寛容である」には唯一の例外があります。不寛容に対しては、絶対に不寛容であるべきで す。「あの人は黒人を差別してるけど、別に知らん」とか、「あの子がいじめられてるけど、別に知らん」みた いな態度、つまり不寛容に対しても寛容な態度を取ると、それは差別主義になってしまいます。「【非常事態宣言下の感染管理】間違いよりも、自分の間違いをすぐに認めて前言撤回できる、朝令暮改できることが大事《岩田健太郎教授・感染症から命を守る講義㊼》」より / 文:岩田健太郎/構成:『BEST TIMES』編集部 -