深瀬昌久 vs デュアン・マイケルズ — 写真は可能か 新・日米写真家比較

(このページはレクチャー資料のシェアを目的に描き始めたもので、未完成の部分が多くあります)

京都のPURPLEでの、2024年12月28日のレクチャーにご参加くださりありがとうございました。次回は、2025年3月29日です。石内都さんと、リチャード・ミズラックさんの比較をします。リサーチの半分は終わっているのですが、話したいことがすでに満載です。2024年12月28日のレクチャーは、Webで見れる資料を事前に用意していなかったので、翌日にこのページを書き始めました。レクチャー資料のシェアを目的としたページを書いています。

(このページは2025年1月4日に書き終わりました、このレクチャーコンテンツの現段階での最終稿とします、この情報をベースに一つの書物にしたいと思っています)

デュアン・マイケルズさんを知らない人が多いのではないかと思います、まずは、ポリスのシンクロニシティのアートワークを見てもらいます

デュアン・マイケルズさんが、イギリスのバンド「ポリス」のアルバム『シンクロニシティ』の写真を担当しました。ポリスの最後のアルバムとなったシンクロニシティは1983年6月1日リリースされ、累計で2500万枚売れたとのこと。

撮影者として、デュアン・マイケルズさんを推薦したのはギターを担当していたアンディ・サーマズさんで、どうやらラルフ・ギブソンさんも候補に上がっていたようです。アンディ・サーマズさんは、自身も写真家であり、マイケルズさんとギブソンさんと親交がありました。(参考:Stories In Synchronicity (Episode 2) – Album Artwork / The Police) 

白黒写真のコラージュの上に色のストライプのアイディアは、デザイナーのノーマン・ムアー(Norman Moore)さんによるもの、複数のバージョンのアルバムを作るアイディアは、プロデューサーのジェフ・アイエロフ(Jeff Ayeroff)さんによるもの。(参考:Classic Album Covers: «Synchronicity» by The Police / Rocking in the Norseland)

From: A Lot of Record Covers Designed by Norman Moore / Norman Moore

次に、赤々舎から出版されている『私景』を見てもらいます。見ていただくと分かるのですが、白黒写真の上に彩色がされているなど、ポリスのシンクロニシティのアートワークと共通点を見てもらえると思います。(後から知りましたが、シンクロニシティは、スティングさんが離婚した直後に作られたアルバムだそうです。ここにも深瀬さんとのシンクロニシティが!)

深瀬昌久『私景』/ 監修:トモ・コスガ(深瀬昌久 アーカイブスディレクター) / 編集:Jordan Alves / ブックデザイン:François Dézafit / 日本語組版:木村稔将 / 発行:赤々舎 / Published in August 2023 / ISBN:978-4-86541-167-6 (この本は、こちらのページから購入できます)

シンヤBの身近な話題: テンプル大学の京都キャンパスに赴任するかもしれない、東京の研究室にある写真集を整理し始めたところ、すべてはキープできないと気づく、さて何を残すべきかを考えた時に、以下の情報に出会った

ソースマガジン(Source Magazine)は、イギリス発の写真専門誌で、現代写真文化と実践に焦点を当てています。新進気鋭および著名な写真家の作品紹介や写真理論、関連するメディアとの関係性を探る記事が特徴です。また、フォトブックのレビューやベスト写真集の選出企画も実施しており、学生や教育者、プロの写真家にとっても貴重なリソースとなっています。特に2016年に出版された『Photobook Issue』では、専門家が選んだ歴代の傑作フォトブック10冊を掲載しました。その中に2人の日本人を見つけたので紹介します。

金子隆一さんが選んだ歴代の傑作フォトブック10冊 (2016年)

  1. 小石清(1888-1963)『初夏神経』1933年
  2. 日本工房『The Nation in Panorama』1938年
  3. 川田喜久治(1933-2019)『地図』1965年
  4. 荒木経惟(1940-)『センチメンタルな旅』1971年
  5. 森山大道(1938-)『写真よさようなら』1972年
  6. ブラッサイ(ジュラ・ハラース)(1899-1984)『Paris by Night』1933年
  7. ウォーカー・エヴァンス(1903-1975)『American Photographs』1938年
  8. ウィリアム・クライン(1928-2022)『New York』1956年
  9. ロバート・フランク(1924-2019)『The Americans』1959年
  10. エド・ヴァン・デル・エルスケン(1925-1990)『Sweet Life』1966

飯沢耕太郎さんさんが選んだ歴代の傑作フォトブック10冊 (2016年)

  1. 小石清(1888-1963)『初夏神経』1933年
  2. 土門拳(1909-1990)『ヒロシマ』1958年
  3. 川田喜久治(1933-2019)『地図』1965年
  4. 細江英公(1933-2024)『鎌鼬 (かまいたち)』1969年
  5. 中平卓馬(1938-2015)『来たるべき言葉のために』1970年
  6. 荒木経惟(1940-)『センチメンタルな旅』1971年
  7. 森山大道(1938-)『写真よさようなら』1972年
  8. 深瀬昌久(1934-2012)『鴉』1986年 (『THE SOLITUDE OF RAVENS』1991年)
  9. 佐内正史(1968-)『生きている』1997年
  10. 志賀理江子(1980-)『螺旋海岸|album』2013年

(筆者ノート:The “Ultimate” List of 54 Japanese Photography Books / japan-photo.info – Ferdinand Brueggemann さんを追加することを検討すること)

1986年に日本で出版された深瀬昌久の『鴉』が、何故アメリカにて1991年に『THE SOLITUDE OF RAVENS』として出版されたのかが前から気になっていた

  • シンヤBは、1992年からアメリカの大学にて写真の勉強を始める。フィラデルフィアの本屋に行くと深瀬さんの『THE SOLITUDE OF RAVENS』(鴉の英語版)が置いてあった。なぜこの日本の写真集がアメリカで売られているのか分からなかった。『センチメンタルな旅』でも『写真よさようなら』でも良かったのではないか?
  • 30年経って、あらためて『THE SOLITUDE OF RAVENS』の序文を読んでみると、ロバート・フランクさんの『アメリカ人』との比較が書いてある。この文はシカゴのArt Institute of Chicagoの写真キューレターであったデイビッド・トラビス(David Travis)さんにより書かれており。彼は『On the Art of Fixing a Shadow: One Hundred and Fifty Years of Photography (1989)』を担当したキュレイターの1人でもあった。(余談だが、この150年の写真の歴史を振り返る展覧会のカタログを読んで私は写真の歴史に興味を持つようになった。定年退職した後のトラビスさんの記事を見つけたので共有:Who’s that guy taking pictures every morning on the bike path?
  • トラビスさんの『THE SOLITUDE OF RAVENS』の序文での『アメリカ人』との比較を理解してもらうために、ニューヨークのMuseum of Modern Artの写真キューレターのジョン・シャーコフスキーさんが企画した『鏡と窓 — 1960年以降のアメリカの写真(1978)』の紹介をした。この展示の論考は、写真家は「窓派」と「鏡派」に分けられるというもの。
    • 窓派(リアリスト・現実主義)的写真
      • 外部世界を客観的に探求し記録することに焦点を当てる
        • 以下の二つは紹介しなかった。何度かレクチャーして思うのだが、この論考は単純に紹介しないと「モデル」が定着しないと思っている。
          • (撮影者の気持ちとは別に、本質的な意味のパターンを見出すことを目指す)
          • (発見したパターンを写真を通じてモデル化や象徴化しようとする)
      • レクチャーでは、ロバート・フランクさんの写真集『The Americans(1958)』を紹介しました
    • 鏡派(ロマン主義)的写真
      • 自己表現と写真家の個人的なビジョンに焦点を当てる
        • 以下の二つは紹介しなかった。
          • 意味は撮影者の理解と解釈に依存すると考える)
          • (被写体は撮影者の経験の隠喩として使用される)
      • レクチャーでは、マイナー・ホワイトさんの写真集『Rites And Passages(1978)』を紹介しました
    • 窓と鏡は連続する一本の軸
      • レクチャーでは、以下の二つも紹介しないことにしました。
        • (シャーコフスキーさんは、論考の最後に「リアリストとロマン主義的アプローチは写真を二分するものではなく、むしろ連続する一本の軸の両極として考えるべき … つまり、どの写真家の作品も、完全に純粋なリアリストあるいはロマン主義的アプローチというものは存在せず、各写真家は事実の要求と形式への意志という相反する要求の間で、個人的に満足のいく解決策を見出そうとしている。」と述べているが、こちらも「鏡と窓」モデルを定着するように理解してもらうためには、紹介しない方が良いと思っている)
        • (シャーコフスキーさんは、例として、よりリアリスト的とされるロバート・フランクの作品にも「強いロマン主義的な傾向」が見られ、同様に、主にロマン主義的アプローチを取るマイナー・ホワイトも、時として「地形をありのままに写した」作品を制作している、と述べている)

深瀬昌久さんとデュアン・マイケルズさんの共通点

『家族』という構造、二つの並行する家族構成

  • 深瀬
    • 実家(北海道 中川郡美深町) — 両親、弟・妹の家族、との家族
    • 東京 — 結婚した「洋子」との家庭(家族)
  • マイケルズ
    • 実家(ペンシルバニア州 McKeesport) — 祖父と祖母、両親、弟の家族、との家族
    • ニューヨーク — 同性パートナーとの家庭(家族)

作風の共通点

  • 効果(美的) 心理的なうま味調味料
    • 「覗き見表現は、観る者の感情を掻き立てる最も効果的な視覚的な手法である。マイケルズはそれを作品全体で活用している。より複雑な目的を持つシーンの味わいを引き立てる心理的なMSG (うま味調味料)のように。彼は、まず欲望のシナリオに没頭する人々の秘められた視点を最初に提示する。そしてその後、そのような欲望の引力が、主人公の心の中へと、唐突に、視点を引き込んでいくのである。」 — 『Max Kozoloff, Duane Michals: Now Becoming Then(1990年)』
  • 構造(感情) 私性(わたくしせい)
    • 「『主体』『話者』『作者』の3者の批評用語で、短歌の読み直しをしていたのだった。この3者を出すことで、これまでの現代短歌が、また違った様相を示すようになる … [して]いる、ことを認識している第三者の存在、すなわち『話者』の存在が必要になってくる。『話者』の視点を「作者」が叙述している、ということにしないと、この作品は説明ができない。」– 桑原憂太郎『短歌の<私性>とは何か④(2020年)』
    • 「短歌における<私性>というのは、作品の背後に一人の人の――そう、ただ一人だけの人の顔が見えるということです。そしてそれに尽きます。そういう一人の人物(中略)を予想することなくしては、この定型短詩は、表現として自立できないのです。その一人の人の顔を、より彫り深く、より生き生きとえがくためには、制作の方法において、構成において、提出する場の選択において、読まれるべき時の選択において、さまざまの工夫が必要である。」– 岡井隆『現代短歌入門(1969年)』
  • 作法(発想) 物語的(シークエンスとモンタージュ理論)
    • (全体の構造を考えると複雑になりすぎると考え、レクチャーでは説明しなかったものに「モンタージュ理論」があります。モンタージュ理論は単独の写真では表現できない意味や感情を、複数の写真を特定の順序で並べることで生み出す手法。以下の3つを表現できます: 1. 感情の表現(連続して見せることで、視聴者の感情に訴える)、2. 時間経過の表現(時間の流れを暗示的に表現する)、3. 対比による意味創造(対照的な写真を比較させることで新しい意味や解釈が生まれる)。そして、「モンタージュ理論」も「鏡と窓」同様、表現としては、1と2と3が混ざっていくことが多いです)

私性(わたくしせい)とデュアン・マイケルズさんの作品について

マイケルズさんと深瀬さんの作品を比べてみたいと思ったのは、マイケルズさんの作品を理解してもらえると、深瀬さんの作品の奥深さをより理解してもらえると考えたからです。以下の本を作風の共通点をベース紹介しました。『Album: the Portraits of Duane Michals, 1958–1988』では「家族構成」についても話しました。

Sequences(1970年)

Real Dreams: Photostories(1976年)

Album: the Portraits of Duane Michals, 1958–1988(1988年)

Now Becoming Then(1990年)(序文: Max Kozloff)

アメリカでの回顧展のカタログ

ドゥェイン・マイケルズ写真展(1999年)

日本での回顧展のカタログ

私性(わたくしせい)と深瀬昌久さんの作品について

以下の本を作風の共通点をベース紹介しました。

遊戯(1971年)

シンヤBはこの本を持っていないので、アーカイブのビデオを見てもらった。

Masahisa Fukase “Yugi: Homo Ludence (遊戯)”, 1971 / Masahisa Fukase Archives

洋子(朝日ソノラマ、1978年)

The Solitude of Ravens(Bedford Arts、1991年)/ Ravens(MACK、2017年)

Masahisa Fukase(赤々舎、2018年)

サスケ(赤々舎、2021年)

Masahisa Fukase 1961-1991 Retrospective(赤々舎、2023年)

私景(赤々舎、2023年)

Foto Follies: How Photography Lost Its Virginity on the Way to the Bank(2006年)

レクチャーの最後に、デュアン・マイケルズさんの最近と言っても2006年ですが、話題作を紹介しました。原題は、「フォト・フォリーズ:どのように写真が銀行へ向かう途中で処女性を失ったのか」というなんだか気難しい怖いタイトルですが、「写真はどうしてお金持ちになってしまったの?」について、現代の写真の世界をユーモアたっぷりに書いた本です。

マイケルズさんはこの本の紹介文の中で、「真剣であればあるほど、愚かにならなければならない。私には大きな愚かさを受け入れる余裕がまだある。それは必要不可欠なこと。」と言っています。

今の写真の世界では、写真がとても高いお金で売られていることを、冗談を交えながらこの本では話しています。たとえば、本の最初のページには、たくさんのお札が描かれています。まるで写真の世界がお金だらけになってしまったことを教えてくれているようです。そして、マイケルズさんは、有名な写真家たちの作品を面白くまねして、「こんな写真が、本当に良いの?」と問いかけます。意地悪な気持ちではなく、写真を撮ることの楽しさや大切さを忘れないでほしいという気持ちを込めて問いかけているのです。

執筆当時、75歳であったマイケルズさんは、長年写真を撮ってきて気づいたことを、私たちに教えてくれています。写真は心で感じるものだよ、とか、いつも新しい気持ちで写真を撮ることが大切だよ、といったことです。それと、有名現代作家の作品をパロディしながら伝えようとする、マイケルズさんらしいユーモアや哲学がたっぷりの、そんな本になってます。(日本の皆さんにも読んでもらいたいですが、これを日本語にするのは難しいだろうなー)

筆者ノート:私性(わたくしせい)

今回のレクチャーを準備する中で、私の中で「私性(わたくしせい)」についての理解が深まった。そろそろ写真を教えて30年となるが、「私性(わたくしせい)」についてうまく説明できずにいた。これは、私自身が、私写真と呼ばれるジャンルの作家であることが理由なのではないかと考えるようになった。『主体』『話者』『作者』という3者の批評用語を使うことで、いろいろなプロセスや効果をクリアーに説明できるし、物語をより深く考察・批評できることも分かった。深瀬さんの作品の理解も深まってきている。

この記事を書いた人

シンヤB

アーティスト、教育者、ドラマトゥルク。詳しくは、プロフィールをご覧ください。