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大さじ小さじ
なぜ TSUTAYA では DVD を2枚借りるより4枚の方が安いのか(枚数特典の謎)
久しぶりに TSUTAYA (ツタヤ) で DVD を借りたら不思議な値段になっていたので書いておきたい。 (そろそろ文字を書き始めなくてはと書き始めている) 私は読み終わる本の数より見ている映画の本数の方が多い。映画は雑食で、なんでも見る。好きだし多く見るので書評ではなく映画評を書いたらいいんじゃないかと思っている。気分転換したくて、1~2時間空いていたら、映画館に向かうタイプで、おまけに、大学での選考は映画製作だった。 メイズ・ランナーという三部作の映画の3部目が、2週間後の2018年6月15日 (金) に公開される。2017年2月に公開される予定で、早く続きが見たかったのだが、主人公が撮影中に怪我をしたため、公開が1年遅れることとなった。 1部と2部がどんな話だったか忘れてきていたので、3部目を見る前に見直しておくことにした。 オンラインで購入しても良かったのだが、最近、集合住宅の我が家のインターネットは、夜になると非常に遅くなるので、近所のTSUTAYAで借りて見ることにした。 お店に行き、2枚の DVD を受付に持って行くと、旧作は2枚借りると480円で、4枚借りると枚数特典が適用され400円 (税抜) になるとのこと、、 なぜ4枚借りる方が安いのか不思議に思ったが、4枚借りることに。 帰り道、なぜ4枚借りる方が安いのか考えてみる。いくつか仮説をたててみた。 1週間で4枚見ると、DVDを見るという行動が習慣になり、もっと借りるようになるから 以前は100円だったじゃないか、という苦情に対応した 「貸し出す」という手間に対して課金している 他のサービスと競争しているから ここまで書いて、たぶん他のサービスと競争しているからかなと思う。 普段、私は映画館で映画を見るので、1本100円というのは、凄く安いと感じるし、心配にもなる。そして、4枚見たいものを探すという行為を、ちょっと面倒に感じた。1週間で4本見れるのか、また TSUTAYA で借りることがあるのか、どうなるのか楽しみだ。 ちなみに、メイズ・ランナーの3部目だが、アメリカでは公開されていて、レビューがあまり良くないので、ちょっと残念な気持ちでいるのだった。 -
大さじ小さじ活発に活動している私:大さじ小さじ
活発に活動していますね、と言ってもらえたのでメモ。 実は、今年の私は、あまり活発ではない。昨年の方が活発だった。 -
大さじ小さじメモ
Heavily industrial Spec + hands Sound of Youth via PressSync -
大さじ小さじ(プロセス) 5時間を使っておこなわれた、カウンセラー・作家・プロブロガー 立花岳志さんによる「月間100万PVブログの作り方セミナー」に参加してきた、このセミナーは、立花さんがブログについて、最初から最後まで全て話してしまおうと試みるセミナーである。 (ロジ) セミナーは、こんな感じの展開だったと感じた。過去のDoing >> ゲスト登場 >> 現在のDoing+Being >> 未来のDoing+Being。セミナーの後になるほど、Beingの方が強くなるというか大きくなっていく印象を受けたが、これは、意図的ではなかったのかもしれない。 まずは、いろいろなゲストの話を聞いていて驚いたのは、私のいまの生活には、ブログを書くための時間をやりくりする時間さえないのだと気づいたこと。正直、自分でも自分の時間のなさに驚く。 トリゾーさんの、「パターン化」するという言葉が響いた。私は、ブログにおいては、コンテンツをパターン化させるのが好きではないことに気づかされたのだ。クリエイターとしては、いつも自由に描きたいという癖のようなものがあり、これは、『私が見るもの』を書いていた時代から引き継いでしまったレガシーなのかもしれない。意図的にパターン化していくと面白いかもと考えるようになった。 シズさんは、いつも読ませていただいていて、いってみれば、ブログのファンなので聞いていて楽しかった。 ブッキーさんの、「世界の平和のため」というフレーズは、印象に残ったし、この日のキーワードとして展開されていった。 そして、ものくろコーチが、堂々と、180名の参加者を、まっすぐ見つめて、「ものくろキャンプ」について話す姿から勇気をもらった。かっこよすぎるぞ、ものくろコーチ!! 5時間の講座、熱量が徐々に過多になり、全ての内容を紹介できない状況になった。それでも、てぃーたち(立花さん)は慌てなかった。「この部分は飛ばします、全部、紹介できなくて申し訳ない、私の実力不足」といいながら、淡々と、クロージングに持っていった。 この飛ばしてしまうという段取りで、セミナーのテンションがさがらず、これは、凄いことが起きているぞという感覚が、後半に生まれてきた気がしている。なんだか頭の中が、コンサートがどんどん盛り上がって、力が満ちているような状態で、このぐわんぐわんしている状態は、どうなるんだろう、、と思っていると、最後に、質問、問いに答えるように言われる。10分使えるそうだ。 「問いをたてると、答えを見つけないといけない」と説明があり、配られていた質問の紙に答えを書いていくことになる。 確か、司会の方が言ったのだと思うが、「10分ではなにも降りてこないと思いますが、、」と聞こえたとき、あー、これは、多くの人が重要なことを書くことになるのかもしれないと感じた。そして、多くの人が、粛々と、黙々と、問いに答えていた気がする。 セミナーの中で、もっとも静寂な瞬間が生まれていた。瞑想のワークショップで、全員が瞑想に入った瞬間のような。180人が一瞬いなくなったような、、 ありがたいことに、私は、いままで乗り越えられないでいたものへの答えというか、きっかけが、簡単に、するするとでてきた。そして、これは、気づきというよりも、なんかでてきたという感覚。 思うに、参加者は、5時間ものブログというものだけにフォーカスされた熱量を一方的に受け取っていて、そして、最後に、10分間、アウトプットすることを求められる。この状態で、なにもでてこないわけがないのではないか。てぃーたちがブログについて、最初から最後まで全部を話してしまおうと試みるセミナーであるから、この状態は、こちらも、いいわけができなくなるのではないか。あはれ。 てぃーたちの、この8年ほどの大活躍を近くで見ていたし、大学で一緒に授業をしてもらったりもした。私自身、受講者になって、彼のセミナーも受けたし、可能な限り、Dpubにも参加してきた。しかし、私の中には、なにか、もやもやしたものがいつも残っていた気がする。それがなんだったのかと問いかけると、「ものたりない」という感覚だったようだ。私が知っている立花くんは、もっと突き抜けていたはずだ、そんな感覚。 そして、あることに気づいた。私は、最後の10分の問いに答える瞬間、「ものたりていた」のだと。 -
大さじ小さじバンクシィが誰だかは知りたくない
バンクシィが誰だかは知りたくない。 -
大さじ小さじ初めてと考える
先学期(というか、今年から)、まだうまく名前をつけられていないのだが、大学の授業のカリキュラムを考えるさい、「初めてと考える」を実践してみている。授業で、初めて学ぶ人の立場を想定してみるということもあるが、それよりも、自分が知っていることを一旦忘れ、初めてこの授業を教えているとしたら?と考え、組み立てる、という発想方法。 例えば、初めて車の運転を誰かに教えると考えてみよう。