RICOH THETAワークショップ:光画
面倒なことを書いていると思われてしまう危険を承知で、「光画」ということば、考えかたについて書いておきたい。日本語でイメージ表現について書く際、「写真」「光画」の語感のズレについての認識をそくしておくことは、重要だと考えているからだ。私が、普段、英語で写真を教えていることもあると思うが、「360度カメラ」と「人工現実」の技術を使いイメージを作るようになってから、「写真」という言葉に違和感を覚えるようになった。
日本では、「写真」、真実を写すと書く。
英語の「photography」は、「photo-」が「light(光)」で、「-graphy」は「description(描写)」という意味。光の描写、または、光の記録、光の描画だと考えてもらってもいいだろう。
さて、「真実を写す」と「光の記録」を比べると、感覚としてのずれを感じてしまう。特に人工現実(VR)の技術を使うようになってから、大きなずれを感じるようになった。真実など写らないと開き直ればいいのかもしれないが、それよりは、使う言葉を変えていけばいいのだと考えるようになったのだ。そして、使う言葉は考え方にも、大きく影響するはずだ。
つまり、カメラがとらえるものは、光の描写と考え、「光描」と考えるべきだったのではないか、、、そして、光が描きだす絵画の意味の、光画という言葉が、戦前の日本で使われていたとのことなので、私は「光画(こうが)」と呼ぶようになった。
我々が作り出しているのは、写真ではなく、「光画」である。
もう少しだけ書いておくと、「写真」ということばは、もともと中国語で、「物事をありのままに写しとること」を指している。実物がそこにあるかのようにリアルに描かれた絵に対して使われていた言葉と思われるが、それが、日本に渡り、リアルな絵や、肖像画を指す言葉として使われ、その後、photographyの訳として定着してしまったようだ。これは、photographyという言葉が、写真の技術よりも後にできた言葉であったことも原因であるのだが。
ちなみに、中国語の「写真」は、「照片」と書くようだ。「照らされた平面」。つまり、照らされた感光材という意味だろうか、、これも、だれが、いつこの言い方にしたのか、興味深いところだ。
シンヤBによる、最新の写真ワークショップのお知らせは、こちら。次回は、東京、7月30日、8月11日、12日、9月3日、大阪、8月27日(2017年)。