ライカからメールがあり1月13日に新しいカメラの発表があるとのことだった。インターネットで検索してみると、Leica M11が発売になるのかもしれないと書いているサイトがいくつもでてきた。
その中に、ラルフ・ギブソンさんのビデオの情報が書いてあった。
私はラルフ・ギブソンさんのファンであるので、さっそく見てみる。
ラルフさんがギターを弾き始め、その演奏の音の中で窓際で静物の撮影が始まり、彼が写真についていろいろと語っていくという趣向のビデオ。ラルフさんファンにはたまらない感じ。タイトルにM11と入っているので、ラルフさんが何気なくライカM11を使っている様子も伺える。バックのギターの音楽もラルフさんが弾いているようだ。
彼が写真と無意識について話していたので、どんなことを話しているのか書き起こしてみることにした。
I know for the longest time that writing with lights requires the most delicate instrument. The real reason I have stayed with the rangefinder Leica for so many years… is because early on I realized this camera was capable of doing anything I was capable of asking it to do. When I asked myself why I stayed with it for so long I realized… that is a question of ergonomic balance, rhythm, power of the optics.
The rangefinder is where my entire universe coincides. I see what’s inside the frame. I see what’s outside of the frame and I triangulate myself between the two.
We ask ourselves why do certain photographs enter in the collective unconscious, history of the medium. And it’s never really the intention of photographer. Without a curse. There’s something about the nature of the language of photography that people understand. They’re the ones who decide, the viewer. When I am making photographs, I try to never think of the viewer.
Ralf Gibson with Leica M11
私は昔から「光」で描くには最も繊細な「楽器」が必要なことを知っていました。レンジファインダーのライカで何年も撮影している本当の理由は、このカメラは私が頼むことができることなら何でもできることに、早い時期に気づいたからです。なぜそんなに長く使ってきたのかと自問したとき、人間工学的なバランス、リズム、光学系のパワーが理由だと気づきました。
レンジファインダーは私の宇宙全体がぴったり合うところです。フレームの中に何が入っているのか見えます。フレームの外側も見えます。そして、その2つの間で、私自身を三角測量する場所なのです。
媒体の歴史でもある、集合的無意識に、特定の写真がなぜ入っていくのかを、私たちは自問します。そして、それは写真家の意図でもありません。呪いでもなく。人々が理解する写真言語の性質に「何か」があるのです。「見る人」が決めているです。
写真を撮るとき、私は見る人のことを考えないようにしています。
Ralf Gibson with Leica M11 (翻訳:シンヤB)
ライカM11楽しみですね。ラルフさんのビデオを見ていたら、私も欲しくなってきました!
追記:ライカのブログにラルフさんの撮影した写真が特集されていました。