写真を教えるということ / On Teaching Photography

Moon over a signal, 2021 by Shinya B

I find that there are two distinct approaches to the teaching of Photography as a Fine Art today. One approach is the traditionalist approach; the masters are revered, even placed on pedestals, and the students are all too often encouraged to emulate their style. Judging by their work, students taught by this approach seem to be led down a path preordained in scope. The other approach is the non-traditionalist approach; the masters are either not respected, or they are respected only in a far off distant sort of way, and students are led to an opposite direction. There is an, “If it has been done before, I don’t want to see it,” kind of attitude. The students are asked, commanded even, to “do their own thing.”

ON TEACHING PHOTOGRAPHY (1976) by Michael A. Smith

止まらずに相変わらず写真を撮っている。

ここのところ撮りながら思うのは写真の教え方について。写真というのは大きく分けて二つの教え方があるのだと考えてきた。一つは、マスターと呼ばれる人たちの作品を模写し、それを乗り越えて行く方法。もう一つは、伝統は無視し、いままでにはなかった新しい写真の世界を作って行く方法。

どちらの方向性でも行き着く場所は同じことも考えられるが、学んでいる間の体験はずいぶんと違うことになるのではないかと思う。

アートな写真を大学で20年程教えてきたが、私が根底で守っていることは、私が作るような写真は、できれば作って欲しくないという考え方。大変とは思うが「do your own thing (あなたが好きなことをしなさい)」して欲しいと思っているのだ。

アドビの写真講座の講師に選ばれて、そして、特に基礎編を教えるようになって、私が根底で守ってきたことが少しづつ崩れ始めてきた。なぜかというと、見本になるように作例と呼ばれるものを撮影し見せるようになってきたからだ。

大学の授業 (これはテンプル大学芸術学部の方針にもよるが) では、自分の写真をなるべく見せない形で教えてきた。

それが、今年は、どんどんと作例として自分の写真を、写真を勉強している一般の人に見せなくてはならない。

これがどのような影響を及ぼすのか分からないが、私にとって大きく何かが変わって行く年となりそうだ。

クールダウンを生活に取り入れたおかげで、とても良く眠れるようになった。今朝もぐっすり眠った後に、瞑想をしに窓の側に行くとそこには光があふれていた。瞑想をしてから窓の写真を撮った。そして、私にとっての写真というのは、こんな感じのものだ。

Sunlight, 2021 by Shinya B

この記事を書いた人

シンヤB

アーティスト、教育者、ドラマトゥルク。詳しくは、プロフィールをご覧ください。