「我々」対「彼ら」という構造

組織の中で、なんだかうまくいってないなと感じて、組織のことを考えるとき、最近、気になるのが、他の人が語る、上と下とか、会社と自分とか、そういう感じの、他人の中にある構造の存在。

自分の所属している組織や、コンサルティングでお付き合いさせていただいてる組織の話というよりは、一般論として聞いていただければ幸いなのだが、、 しかし、答えのきっかけになるような記事を読んだので書いておきたい。

Liz Ryanさんが上げる、「2017年から廃止すべき時代遅れな10の社則」。

1から9も、なるほどと思うことばかりだったので、お勧めしたいが、結論的に書かれている、10番目に、そうだよなーと共感してしまった。

10.
最後に、あなたの企業の方針マニュアルや従業員向けのハンドブックを見直して、従業員をまるで潜在的な犯罪者であるかのように扱う(多くの伝統的企業にあるような)方針は全てなくそう。あなたと従業員は、同じ側にいる人間だ。「我々」対「彼ら」という構造はない。

これは、最近の政治などの話にも、そのままあてはまる気もするなと思ったりする。

そして、自分が大学で教えている授業にもあてはまると気づく。実は、火曜日のブログで、生徒たちのことを「彼ら」と書いたのだが、なんだかうまくあてはまらないように感じていたのだ。彼らではなく、私たちと言い換えると、しっくりくる気がした。

授業の規律を考えると、先生にとって重要になってくるのは、生徒を信じられるか?ということ。規律も重要だが、信頼することの方がさらに重要で、なぜなら規律というものは、不信感の裏返しだったりするから。

そう、これからは、信用するだけでなく、これをさらに前にすすめ、「私たち」と考えて、授業を進めてみたら、もっと楽しく授業できるのでは、と気づけたのだった。

この記事を書いた人

シンヤB

アーティスト、教育者、ドラマトゥルク。詳しくは、プロフィールをご覧ください。