写真集の作り方(プロローグ)

突然だが。昨夜あたりから、そろそろ、写真集の作業をしなくては、と思い始めていた。ライカで撮影するようになって、白黒の夜の写真が気になるようになり、それをまとめられないかと思ったのだ。夜の陰影に惹かれている。私にとっては、夜とは、動かないもののイメージである。その動かないものを、なぜ、わざわざ撮るのか。どうやら、カメラによって変換される、夜の陰影の質感に、特別なものを感じるらしい。その質感は、撮影しているときには見えていない、いってみれば、私の想像の中の質感、それがなぜか浮きあがってくるような気がするのだ。

と考えているとき。

カレンダーには、「めぐたま」と書いてあった。写真集食堂めぐたまにて、飯沢耕太郎さんと、AKAAKAの姫野希美さんのトークのようなものがあるらしく申し込んでいた。私は、AKAAKAから出版されている志賀理江子さんのカナリアという写真集が好きで、これは聞きにいかなくてはと申し込んだ。めぐたまには、もっと頻繁にいきたいと思っているが、なかなかいくチャンスを作れない場所。

めぐたまに向かう間、どのように写真集を組み立てるかを考える。Rule of Engagement(コンセプトのようなもの)を決めて、撮りおろせばいいだろうと考えた。2つの方向性がある。1つは、Rule of Engagementを、1. 夜景、2. 人工的な光のデザイン、3. 質感とし撮影していくもの。もう一つは、最近、撮り続けている「路地」を、毎日、夜に撮影するというもの。こまったことに、路地を夜撮影するほうが良い感じがしてる。なぜだかはわからないが、どうやら、原発問題が理由の気もする。そして、私が、原発をテーマにするのも、なんか違う気がする。よく考えたら、「Sun Dance」も、そうだったわけだけど、、

めぐたまに着く。話が始まり。姫野さんは、青幻舎の編集者だったそうだ。3冊、写真集を手がけたら、商売になるような普通の本を作れなくなってしまい、一人だけの出版社を作れば、写真集を続けていけるのではないかと考え、独立したとのこと。青幻者で作られた、「生きている」と「真昼」は、私も好きな写真集である。もう一冊の「目の前のつづき」は、今日、初めて見た。

濃い90分のトークだった。AKAAKAから出ている本になぜ惹かれるのか分かった、それは、姫野さんのクレージーで丁寧な仕事に、私たちは導かれているのだ。そして、彼女は、京都に住まいと仕事場があり、そうか、やっぱり京都なのかと思ったりもしたのだった。

飯沢さんも初めてだった。本は何冊か読ませていただいているが、本の印象とは違う感じの方だった。「始まりかたも重要だが、写真集を見終わったときの余韻も大切」と話していたのが印象にのこった。

そして、写真家と写真家が使う言葉の話にもなり、飯沢さんが展開する写真家の話(つまり、私、自分についての話だが)、そうだったのか、、と思うことばかり。自分のことなのに、ぜんぜん知らなかった。あー、びっくりの連続だった。例えば、面白い写真家は文章も面白い、文章が面白くない写真家は、写真もだめだね、と言い切っていた。まじか、知らんかった。サジにも、聞かせてやらなあかん。私は、文章を書くのが好きだが、他の人は、文章が苦手だけら写真やってるのかと、、という認識だったのだった。しかし、考えると、教えている学生で、面白い作品を作る人は、文章も書ける人がほとんどなので、これはあたっているのだろう。つまり、写真家は、もっと、たくさん文章を書くべきなのである。

姫野さんの話を聞いていて思うのは、やっぱり、私は、写真の教科書を作ってみたい。なんでか知らないけど、写真集のことを考えていると、いつも、そっちに行ってしままう。そして、私が書きたいのは、このブログに書いているような、写真の技術とか撮り方ということではないようなのだ。なんだろう、写真の楽しみ方、写真との暮らし方のようなもの。結局は、志賀さんの本が好きで、トークイベントにいったら、めっちゃよかったというようなことなんだけど。まったく、どうやって作るのかわからない。

長くなったので、この辺で。なんだか、「私が見るもの」みたいに書けたという気持ちになった。

via PressSync

この記事を書いた人

シンヤB

アーティスト、教育者、ドラマトゥルク。詳しくは、プロフィールをご覧ください。