(I see the crystal raindrops fall)
瞑想法の習得 その1
毎日、瞑想をし記録をつける
現在のセットは以下の形
- アーサナ 半分鳩からある程度自由に 時間は決めない
- 1st 瞑想 無意識に佇む 10分
- 2nd 瞑想 無意識に浮かび無心に 10分
- ナーディ・ショーダナ 7回
- 3rd 瞑想 自由に 時間は決めない
アーサナと瞑想と呼吸 20230912
世田谷の自宅
ナーディ・ショーダナから、1st 瞑想、2nd 瞑想
昨日、木槌療法を受けたので、アーサナは割愛してみた。愛方さんが珍しく早く出かけるので、短縮である。
ここのところ思うのだが、瞑想を通して、私の中の無意識と意識の関係が再構築されているような気がする。瞑想だけでなく、ここに文字を書くことも良い作用になっていると思われる。瞑想に関する事柄はここに書きやすい。良い悪いなどたぶんまったくなく、私が書いていることを感じられるのは、実際にプラクティスしている人ぐらいだろう。そして、瞑想という名の山を登り始めたのだとすると、まだ、2合目ぐらいである。
ここのところ、このブログをSNSにコピペしているからだろうが、瞑想に関する広告が多く出るようになった。瞑想に関する広告があるのに驚き、新しい発見となった。その中で、瞑想の学校に関するものがいくつかあり、タイミングが合えば、来年、通ってみるかもしれない。エミール先生からの教えのその3は「ベースを見つける」なのであった。これはよりどころとなる場所や仲間、ホームを見つけるという意味と説明を受けた。
230911>230912
230911 空の書を昨日の夜に書いたので、ここに追記することはない。
230912 今日もアメリカの大学の授業。写真初級、写真上級である。学生達は、テーマを決めて、今週から撮影を始めないとならない。私の授業は、学生たちとの連絡は、私からも先方からも文章でしていくというのをどんどんと実践している。アートのクラスなのに文章を書かされるなんて、と思う学生もいるが、文章のコミュニケーションは、知的なコミュニケーションを深めるのに向いているメディアと考える。この文章と対等に存在するのがイメージ(写真や絵画)と音楽(音と音響)であると考えられるようになると、いろいろと興味深い構造ができてくる。
大学の授業の後はダンスの現場である。ダンサーで親友でもある、石井則仁さんのカンパニー 舞踏石井組の作品のいくつかを今年は手伝うことになった。今日から、本格的にドラマトゥルク業が始まる。皆様、よろしくお願いいたします。