Imaginary Day

Imaginary Day

Today’s table
火曜 那覇に移動
大学公務 通常
WordPress クラス × 進んでない
WordPress 翻訳 少し進んだ
ライカで撮影 進んでる
写真術ワークショップ × 進んでない
結婚パーティの準備 × 進んでない

ダンスの仕事で那覇にきた。

ダンスの仕事で京都にいる時は、もっとバタバタしている。沖縄は、東京との距離もあるのだと思うが、なんだかゆっくり時間が流れている。午前は家で仕事をしてから、午後、石井ノリくんと羽田から飛んで、京都からのヘッキンと那覇で合流。さて、沖縄公演、いろいろと課題はありますが、楽しんでいきましょう。

晩御飯をみんなで居酒屋で食べて、アパートに帰ってくると、なぜかパット・メセニーが聴きたくなった。

晩御飯は沖縄料理の居酒屋に行った。島らっきょうの塩漬けと山羊の刺身が絶品。なんだか知らないが、帰ってきたらパット・メセニーが聴きたくなった。 Imaginary Day を聞いている。懐かしい。このアルバムが出た時は、東京とニューヨークを行ったりきたりしてたんだった。もう20年前のことだ、、

時間がゆっくり流れているだからだろうけど、なんだか人生について考えている

こうやってここで文章を書いていると、時間の流れというのは主観的だなと思う、そして、いま感じていることを時間と呼ぶのかどうかも分からないが。

時間というのはいまここにしかないと感じる。なぜなら、私は自分では時間が測れない。音楽を聴きながら、20年前のニューヨークの日々を思い出しているけど、昨日も20年前も過ぎてしまえば、違いがあまりないと感じるのだ。そして、明日と呼ばれる時間も、みんなに平等に訪れる。その平等には生と死の両方が含まれているのだけれど。

そのような、前と後ろにあるモノをつないで時間と言うのだろうが、私自身は、カレンダーや時計のサポートがないと、いま以外の時間を見るときに違いを感じるのが難しいと思うようになってきたのだ。

この記事を書いた人

シンヤB

アーティスト、教育者、ドラマトゥルク。詳しくは、プロフィールをご覧ください。