Tales of Another

ゲイリー・ピーコックさん — Tales of Another

1935年アイダホ州生まれで、ワシントン州ヤカマで育った。A.C. Davis High School卒。

1948年 (13歳) からピアノを始め、ロサンゼルスの大学にてピアノを勉強中に徴兵される。ドイツにて兵役。ピアノを弾き続けていたが、ベースを弾く人が見つけられなくて仕方なくベースを始めることになる。すぐに弾けるようになり、ベーシストの需要が高かったため、演奏する機会がどんどんと増えていき、ベースが自分に合っていることに気づくきっかけとなった。

除隊後は、ベーシストとしてロサンゼルスでアート・ペッパー、ポール・ブレイ、オーネット・コールマンらと共演。1962年 (27歳) にニューヨークに移住。マイルス・デイビス、ビル・エバンス、ポール・モチアンらと共演。

1964年 (29歳) には生活が乱れすぎて音楽活動をやめることに。東洋医学の勉強を始める。

1970年 (35歳) から「京都」に滞在していたことは、あまり知られていない。この時に座禅と出会う。山本邦山 (人間国宝、尺八演奏家)と『銀界』を録音、ピアノは菊池雅章、ドラムは村上寛が担当。

1972年 (37歳) にアメリカに帰国。ワシントン大学 (University of Washington) に入学し1976年 (41歳) に卒業。専攻は生物学。

1976年 (41歳) にボール・ブレイと日本へツアーに行ったことが音楽活動復帰へのきっかけとなる。キース・ジャレット、ジャック・ディジョネットと『Tales Of Another』を録音し1977年にリリース。その後、1980年代はコーニッシュ・カレッジ (ワシントン州シアトル) で教え、1983年 (48歳) からキース・ジャレット、ジャック・ディジョネットとともに、スタンダーズ・トリオとして活動を開始。

座禅の活動も活発で、禅寺に通いながら刑務所の座禅グループのサポートなどもおこなっていた。

2020年9月5日に死去。85歳だった。

シンヤBが、ゲイリーさんと同じワシントン州ヤカマで育ったことは、あまり知られていない。

シンヤBがキース・ジャレット・トリオで一番好きなアルバムは『Tales Of Another』。初めてトリオの演奏を聞いたのは1983年に経堂農大通り商店街の2階にあったジャズ喫茶。そして、1988年ぐらいに、友人が行けなくなたのでチケットを譲り受け Bunkamura でライブをみることに。それ以来、なんかいみたか分からないぐらいトリオの演奏をみている。

追悼のブログを書いてみて思いますが、ゲイリーさん抜きには、キース・ジャレットさんの活動は語れませんね。ライブを見ていると思うのですが、ゲイリーさんがペースキーパーで、そこに、キースさんと、ジャックさんが乗ってくるというスタイルのトリオだったと思います。

ゲイリーさん、たくさんのインスピレーションをありがとう。座禅に関する、ゲイリーさんのインタビューを見つけたのでシェアします。座禅の文脈の中でキースさんについても語っています。

I think music actually prepared me in some ways in coming to zazen, because it was the only window in my life where I felt kind of a spiritual or religious sense. I looked at that the essence of that and it was just bare awareness. Zazen is the same thing; it’s a heightened sense of awareness. My daily mantra is a quote from my Zen teacher, John Daido Loori, Roshi. I asked him one time, “What is Zen?” He said, “Just do what you’re doing while you’re doing it.” It’s so simple, but it’s so hard! That’s something about Keith. Whatever he’s doing, he’s doing it. In some ways he’s more Zen than anybody I’ve ever met.

Gary Peacock: Zen Bass

この記事を書いた人

シンヤB

アーティスト、教育者、ドラマトゥルク。詳しくは、プロフィールをご覧ください。